Tangible life

手触り感のある生活に向けての日々の記録

AI(人工知能)が変える社会・経済 <地球のしごと大學 教養学部 講座>

先日は、井上智洋さんによる講義を受講してきました。

 

chikyunoshigoto.com

 

2030年、いま7歳の長男が二十歳。

未来のSFチックなテーマをリアルに捉えるために、「自分の子どもにはどのような教育環境を用意してあげるのがよいか」という観点で考えました。

 

AIが変える社会経済で必要とされるのはCMH(クリエイティヴィティ/マネジメント/ホスピタリティ)に関する仕事。

純粋機械化経済では、テクニックやスキルではなく、機械との競争にさらされない「頭脳資本主義」。

アップルような(ゼロ→イチを開発するような)未踏に挑む頭脳がもてはやされます。

 

「有用性」と「至高性」

自分ゴトとしても丁度いま考えていたところでした。

「将来役に立つから」という言葉自体の役に立たなさ…。

将来のために何かを我慢するばかりでなく、今も楽しみながら将来も手に入れたい。

 

都市部の有名進学校では熾烈な受験競争が繰り広げられていて、どうしても違和感だらけ。
ですが、将来役に立つとされる教育だけでなく、いまの知的好奇心を満たす「至高性」、いまの仲間とお互いを高め合うコミュニティ、などを想像するに、学歴ではなく教育機会の場として有名進学校にはたくさんの魅力がつまっている気がしてしまいます。

入口の極端な競争がネックなだけで。

 

将来に目を向けても、「読み書き算盤+システム思考」は複利のようにレバレッジがかかって頭脳格差を生んで行きますし、思春期に同じ釜の飯を食ったかけがえのない人間関係が社会に出てプラスに働くことも多いです。

そうではない学校(有名進学校ではない学校)でもCMHに関する仕事につけないわけではないものの、印象論として、より高みを目指す頭脳集団かというと物足りなさを感じます。

(ディープマインド社を興すような人材が生まれやすい環境かどうか、という意味で。)

 

一方、海士町の島前高校のような、地球のしごと大學のような、「自然の学校」的な教育の場には、人格形成や文化資本の感性をみがくという分野でのかけがえのない有意義さを見込めます。

AI社会だからこその土着の希少性は可能性を感じます。

 

先日孫泰蔵さんが子育てのためにシンガポールを選んだというのは、僕もショックでした。

 

受験進学校かそれ以外かという二択ではなく、多様な選択肢はあるはず。
地域に住みながら、切磋琢磨して頭脳を磨ける教育の場を望みます。

科学オリンピックとかロボコンとかでしょうか。

N高校とか、新しいスタイルのオンライン教育とかでしょうか。

ないものはつくればいいのでしょうか。

国際バカロレア認定校ってまだまだ少ないんですよね。

 

最終的には子どもが自分の意志で選択することではありますが、親としては出来るだけ時代にフィットした選択肢を提示してあげたいなと。

欲を言えばそれがコモディティ化していない、希少性が高いけれども汎用性もある組合せを意識してあげたい。

欲張ったとしても出来ることをバランスよく選ぶことになるのかと思いますが、「こんなはずじゃなかった」という思考にはさせたくないものです。